「人は自分の解る範囲でしか物事を知らないし、自分の出来る範囲でしか出来ることはない」 家庭をないがしろにして仕事ばかりの父が、偶に帰ってきたときの口癖がこれだった。 子供だった時分、この言葉の本当の意味が理解できなかったのだろう。 私はいつも首をかしげて「当たり前じゃん」と言い返していた。 そう、この父の言葉は当たり前のことなのだ。 関数を習ったことのない小学生に関数の問題をやらせても解るはずもなく、解けるわけではない。 自転車に乗ったことのない子供がすぐに自転車に乗れることはないだろう。 所詮、人間やその他の動物に関しても、自分がいまだ体験したことのない事象や、知識として得ていない情報というものは自身に反映することは出来ない。 其れを知っていたから、私にはごく当たり前のことだという認識しかなかった。 そして、この口癖には少し足りない部分が存在すると感じたのが、私が少しばかり勉強し始めた頃だ。 人は確かに自分の解る範囲でしか物事を知らないし、出来る範囲でしか出来ることがない。 しかし、人間は其れを学ぶことで克服できる動物なのではないかと。 知らない事柄が出てきたら調べればいい、出来ないことがあるなら出来るようにすればいい。 其れが出来るのが、人間という生き物であり、人間が持った唯一の個性ではないかとも思う。 だが、これが当たり前なのが事実であることも確かなのだ。 人は自ずと、知識を蓄え、経験を積み、成長していく。 だから父が言っていたのは当たり前のことで、そして私自身もその口癖の意味が完全に解った今でもこの当たり前なことを繰り返している。 ならば何故父はこうも当たり前のことを口癖のように言っていたのだろうか。 当たり前のことを、言葉にして実感させることで其れを素晴らしいことだと思わせたかったのかもしれないし、又はその当たり前なことをしっかり励めよというメッセージだったのかもしれない。 父は少し前に肺炎をこじらせてそのまま帰らぬ人となった。 だから私は、この言葉に秘めた父の真意を確かめるために今日を生き、その中で、私はこの口癖を自分の行動指針にしている。 「人は自分の解る範囲でしか物事を知らないし、自分の出来る範囲でしか出来ることはない。だが人は知ることも体験できることも出来る。其れが成長であり、人間に課せられた義務ではないか?」 これはごく当たり前だが、大切で、切実で、価値のあることだと私は信じている。 ――― ※後書き 997字。 この作品の主題、というのは「当たり前のこと」に対する認識だと思っています。 当たり前の事柄をさも重要なことのように認識させ、当たり前のことを大切に取り扱う。 其れができる人間になりたいというのが"私"であり、そういう人になってほしいと願ったのが"父"であります。 今回取り上げた"当たり前"は、現実に私の行動指針でもあり、私の基盤です。